好きな音楽の話がしたい。
音楽の好みはその人を端的に表す。
ジョジョの奇妙な冒険にも「俺たちはまだ彼女がどんな音楽が好みなのかも知らないんだぞッ」と人間性をまだ知らないことについて、音楽を持ち出すシーンがある。
それを示すようにジョジョの奇妙な冒険にはバンド名などを冠したスタンドが多く出てくる。
要は自己紹介がしたい。
僕は椎名林檎が好きである。
私のスタンドは「トーキョーインシデンツ」または「シーナアップル」である。
今でこそ椎名林檎は弩ポップである。メジャーである。
しかし、過去に自作自演家、新宿系と名乗っていた頃の彼女は依存症の人が聞く音楽なんて言われていた。
それでも当時、椎名林檎はポップだった。
僕が中高校生の頃は、誰かに助けてほしくて世界の中心で愛を叫んでいたし、Deep Loveだの嫌われ者の松子おばさんだの割と絶望や不幸がエンタメ化していた。
大人たちが見ないようにしていた好景気の終焉みたいなものがどうしても無視できなくなってなだれ込んできたかのように、絶望であふれていた。
絶望をみんなで共有して安心していた。
絶望や理不尽がエンタメの一つのメインストリームだった。
私が椎名林檎に出会ったのは、そんな時代である。
両親が離婚宣言をしてから、ドメスティック戦国時代に突入し私の大学受験が近づき冷戦時代に突入するかと思われたさなか、私のほうが祖父母の家に疎開させられた時であった。
母は家を出て、父と鉢合わせればアグレッシブな乱闘が繰り広げられ、弟はグレて、なかなかフィクション以外で遭遇したくない出来事の応酬であった。
当時の10代の音楽といえば、GReeeeN、EXILE、ファンキーモンキーベイビーズ、いきものがかり、コブクロなどである。もしくは、バンプ、レミオロメン、ポルノ、アジカン、フランプールである。
それらを聴かなかったわけではない。
しかし、当時の僕にどんなにファンキー加藤が「諦めるな」と叫びかけてきても、吉岡さんが青春をエモく歌いかけてきても他人事のようにしか思えなかった。
同級生がみんな自分とは違う世界で生きているんではないかというような世界からの疎外感があった。みな頑張れば頑張っただけ良いことが待っていることを疑っておらず、世界が協力的であることを感じているかのようにキラキラして見えた。
理不尽に耐え頑張っている仲間が欲しかった。
そんな時にたまたま手に取ったのが椎名林檎の「勝訴ストリップ」である。
旧譜であるが、TSUTAYAさんのレコメンドで目立つ位置に置いてあった。
曲のラインナップは以下のとおりである。
興味があれば歌詞も見てもらいたい。
『勝訴ストリップ』
この並びである。
正直言って、今でも何を唄っているのか分からないものもある。
しかし、当時の流行っていた音楽ではなくこちらが剥き出しの真実のような気がした。
リアルだった。
浜崎あゆみでも倖田來未でも安室奈美恵でもなく椎名林檎がsuit me perfectlyだった。
椎名林檎が自作自演家と名乗るようにこの音楽が演じられたものだとしても私にはリアルだった。
虚言症を初めて聞いた時の衝撃はもう人生の中で味わうことのできない類のものだ。
少し不安を感じるイントロから「魚の目をしているクラスメイトが敵では決して無い」だの「線路上に寝転んでみたりしないで大丈夫」だの唄いかけてくる歌がこの世界にあるとは思っていなかった。
今更気になって調べてみると、自殺した少女の新聞記事を読んで作られた曲だそうだ。
↓↓同アルバムより『罪と罰』
どんはまりである。
今でこそ、people1やどんぐりず、いいと思えば洋楽も聴くようになったが、
高校3年生から大学卒業近くまで椎名林檎と東京事変以外唄物はほとんど受け付けなかった。
しかしなんというか、僕を元気づけたのが椎名林檎ではなくファンキー加藤だったら僕の人生は全く違ったものになっていたかもしれない。
それだけ音楽は聴く人の傾向を端的に示すものだ。
椎名林檎先生は最近の楽曲も違った形で勇気や元気をくれる。
一生好きな音楽だと思う。
私はそういう人間である。