「ルックバック」を観た
ルックバックを観た。@広島バルト11

観たいな思っていて、久しぶりにバルト11で観てきました。
ネタバレはなるべく避けて観てきました。なので原作は読んでいません。
映画ルックバックは作者藤本タツキ先生の決意表明みたいに感じました。
だから、泣けるとか、感動するとかいう映画ではないなと思います。
以下、ネタバレを含みます。
藤本先生の想いは端的に言うと「創作物の力を信じている」っていうことだと思います。
ルックバックは小学校で配られるプリントに4コマ漫画を連載していた藤野先生と同じように連載していたけど不登校だった京本の話です。
物語は大きく2部に分かれていて、①藤野先生が京本に卒業式で出会い一緒に漫画を作り、事件を経験する世界線と、事件の後悔から広げられる②藤野先生が京本に出会わない世界線の話からなります。
この作品は、①で人との出会いって大切だし、出会いによってもたらされた奇跡のようなものと成長を美しく描写します。視聴者が感動するポイントがあるとしたら、ここだと思います。
京本と出会うことで藤野先生は周囲からくだらないと言われて辞めかけた漫画を続ける選択をします。京本は部屋から出て漫画を手伝い、もっとうまくなりたいと思って美術大学へ進学する決断をします。そして、藤野先生は週刊誌で連載を持つようになります。
ここまでの物語の美しさは映像表現もあいまって、グッとくるものがあります。
私にも学生の頃に夢中になったものに理解者がいれば、人生変わったのではないかとさえ思います。
人との出会いって、人生変わるよね。。。いいものだよね。。。
と、散々思わせておいて。
京本は美術大学で悪漢に襲われて死んでしまいます。
藤本先生は葬儀の後、京本を部屋から出したためにこのような結末になったのだと強く後悔します。
そこから②の世界の話が始まります。
小学校の卒業式で藤野先生と京本は出会いません。
藤野先生は漫画を描くのをやめるし、京本は不登校のままです。
それなのに、京本は美術大学に進学するし、藤野先生は一度辞めた漫画を再び描き始めます。
あんなに、二人の出会いを奇跡のように描いておきながら、変わらないんです。
(京本が死なないという結末にはなります。)
では、二人の人生を決定づけるのに重要だった出来事は何か。
小学校のプリントに4コマ漫画を連載してお互いに影響しあっていたことです。
京本が連載を始めたことで、藤野先生は世の中にもっと絵の上手い小学生がいることを知って絵の練習を始めます。徹底的に。
京本は小学生の時引きこもり生活の中で藤野先生の連載が唯一ほかの小学生との交流になっていたはずで、大切な思い出になっています。
また、②の世界の最後で京本が藤野先生が描きそうなテイストの4コマ漫画を描くシーンからも影響を受けていることが分かります。(あと、背景美術の世界に関する本と出合ったことも京本にとっては大きいと思います。)
つまり、誰かが作った作品の影響が大切なのです。
お互いが顔を合わせていようがいまいが、作品でつながっていれば、人生に影響を与えるようなこともあるのです。
①の世界を見て起きた奇跡は単に二人が出会ったから起きた奇跡ではなく、二人の作品が起こした奇跡なのだと。創作物の力なのだと。
象徴的に最後に京本が②の世界で描いた四コマが次元を超えて①の世界の藤野先生に届きます。
作品は時空を超えて届くんです。最強なんです。
この四コマを読んで、藤野先生は京本が藤野先生の影響を受けていたことに気が付いたのかもしれません。
この後、藤野先生は自分の作品シャークキックを読んで涙します。
最初はなぜ泣いたのかピンと来てなかったんですが、「佐為がいた」(※)ということなのかもしれません。
京本が死んだことを受け止めきれなかった、出会わなければ、連れださなければよかったという後悔の中で、藤野先生自身も自らの作品の中に京本がいることに気が付いたのではないかと考えました。
京本は死んだけど私の作品の中に京本はいる。
作品で人と人とはつながっていて、時代を越えて届くことだってあります。
誰かの作品の中に誰かが生きていることだってある。
藤本タツキ先生がそうした創作物の力を信じて、その輪の中で生きていくという決心を改めて表明したような作品であると感じました。
私の文も誰かに(笑)
※「佐為がいた」…漫画「ヒカルの碁」の進藤ヒカルのセリフ。霊である碁の師匠、藤原佐為が姿を消し、もっと碁を打たせてやればよかったという後悔から碁を打つのをやめてしまったヒカルが、かつての仲間のために仕方ないと打った碁の中で自らの一手一手の中に佐為を見つけるという名シーン。